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時代の変化とともに、こころの病に対する認識は変化しつつあります。しかし、実際に患うご本人やともに暮らすご家族の苦しさや辛さはそう変わったりしません。どんな理屈や倫理感や常識があろうが、すべてを投げ出したいのは一度や二度ではないでしょう。
我が存在を、あるいは我が子やパートナーの存在を本当に投げ出したい、その川の渡し船に乗ってしまうその前に、ここにちょっと立ち寄ってほしいと、「先人」たちが開設したお茶屋さんです。

パーソナリティ障害 2023.01.10

心の傷を癒す時

希死念慮が続いている。しかし今のわたしの感情ではない。幼き頃のわたしの希死念慮を今のわたしが感じている。守られたかった過去の傷ついた小さな「わたし」がまだ傷ついたままの状態で心の隅にいる。
それを振り払うかのように、施設に行き作業をしている。家で希死念慮に悶えていたときに場所を変えようと普段通りを装って施設に駆け込んだら楽になった。人々の中に紛れていると、自然と希死念慮を横に置いておける。希死念慮に押し潰されないように、作業して目の前のことをコツコツとやり遂げる。おのずと活動量も増えて、人と関わりながらやれることが増えてきた。
昔の自分を癒すために、何ができるだろうか?バラバラになったわたしの中にいる小さな傷ついたままの「わたし」に、今の「わたし」は何ができるだろうか?できることなら抱きしめてあげたい。「大丈夫だよ」って言ってあげたい。
ボランティア先で自分が精神障害を抱えていると伝えたときに、他のボランティアさんに「社会参加は大切だね」と言われた言葉が胸に刺さった。
わたしにとって必要なことは孤軍奮闘することではなく、社会の中で人と関わりながら成長していくことだ。そして過去と向き合い、小さな「わたし」の心の傷を癒してあげられたらと思う。



家族 2022.12.10

2022年も終わろうとしている。
今年も多くの著名人が亡くなった。安部元首相、エリザベス女王、アントニオ猪木などのニュースを見るたびに、どんな人にも死は訪れるのだと実感した。
そして私は10月に最愛の母を亡くした。
亡くなる3週間前に母が入居していた施設で、これからは回復の見込みはないので痛みをとる以外の治療はしないという「看取り」の書類にサインをした。
施設から帰る駅までの道は、涙で前が見えなかった。どうしようもないとわかっていても、命の選択をしてしまったのではないのかという罪の意識にも苦しんだ。
母の死から色々なことを教えられた。それはこれから先もずっと私の心の中で生き続けるだろう。
その一か月後、娘に新たな命が誕生した。エネルギーに満ち溢れた元気な女の子。
これからどんな人生を歩んでいくのだろうか。とにかく元気でたくましく幾多の荒波を乗り越えていって欲しい。
母から孫へと命のバトンが繋がった。喜びと悲しみはいつでも隣り合わせにあって、生まれては消えていくもの。
だからこそ、恐れることなく、今をしっかりと生きなければならないと思う。
2022年は私にとって忘れられない年になった。

摂食障害 2022.10.10

生きていくために

「具合が悪くなったら診察予約を臨時で入れて、薬と生活の見直しをしましょう」
主治医はそう話す。難しい。まず休診日ではない日を待ち、朝起きて予約の電話を入れて、支度をして外を歩いて電車やバスを乗り継いで、予約時刻までに診察室へ辿り着く。状態を伝え、またバス電車に乗って薬局に寄り、家へ帰る。無理だ。具合が悪いのに、工程が多すぎる。

実家に連絡するしかない。自家用車での送迎を頼む必要がある。どうしても生きなければならない、だからどうしても診察を受けなければもたない。その一心で老境の母に電話する。

様々なことを思い出す。小学生のとき、信頼していた担任に「毎晩、このまま目が覚めないといいなぁと思いながら眠ってる」と話したら叱られた。「自分が何を言っているのかわかってるのか、それは死にたいって言ってるようなもんだぞ」その通りです正しく伝わってますよとは言えなくて、困惑しながらも謝った。本音を言えば叱られるのだと思った。

以前「自分にとって『死にたい』は『生きたい』だった」と話してくれた人がいた。大事な告白だなと思いながらも、私は頷けなかった。私にとっては『死にたい』は『死にたい』だった。ほかの意味はなかった。
来週も母に電話すると思う。叱られてもいいから、主治医に本音を伝えにいくために。



摂食障害 2022.9.10

どうしても死にたくない

拒食症になりたての私を支えてくれた大恩人がいる。彼女が亡くなられたとき、私は15歳だった。彼女の年齢を越えてしまう年のお墓参りで「本当に良いんでしょうか」と内心で尋ねたことを憶えている。

今でもご遺族と電話で話したりする。母は当時、摂食障害の子を持つ親の集まる家族会で一緒だった仲間たちと連れだって、ご遺族に会っては話をするという。近況報告に混じって、故人の思い出話が出る。私の話も出るらしい。「あの子は元気?」と聞かれたとき母が「うちの子は元気よ」と答えられる生活を維持することが私の目標にもなっている。

リフォームした家は継いでくれる子がいない。墓の管理は誰がするか。遺品はどうするか、晩年は親に何も話さなくなっていたあの子が何を大事にしていたかさえ、もうわからない。そんな話も聞く。

亡くなったあとはせめて楽になっていてほしい、と願う一方で、美談にはできないよな、とも思う。できないし、したくない。死は綺麗じゃない。

もう死ぬか、と判断しかけるとき、いつも思い出す。この部屋が好きなこと。愛した本が遺品と呼ばれる日。まだ誰にも話してない。この本のどこが好きか。今なんでつらいか。私は死にたいけれど、友達に喪服なんて着させたくない。
せめて、明日話してからでも遅くない。今日も、施設の開所時刻を待っている。



家族 2022.8.10

我が子を失くすということ

娘がこの世を去って5年が過ぎた。
5年経てば何とか乗り越えられるのでは…と思っていた。
でも、また今年もその日が近づいてくるうちに、じわじわと何とも言えない重くて暗いものに押しつぶされそうになっている。あの日の朝の空気感や光景がフラッシュバックして涙が溢れてくる。

以前のように悲しみが頭から離れないということはなくなったが、戻ってくる時の波は高く深い。
娘の表情や仕草、声や体温、髪の感触などが懐かしく苦しい。
生まれる前の期待や不安、生まれた日の光景、子供のころの無邪気な笑顔や泣き顔、楽しく過ごした日々を思い出すことも多い。

我が子を失くすということの悲しみに終わりはないのだろう。



家族 2022.7.10

悲しみのプロセス

娘が突然この世を去って間もなく5年になる。

悲しみを乗り越えるには、①ショック②喪失の記憶③引きこもり④癒し⑤再生 という5つのプロセスがあるという。
私の場合、①②③は順番どおりではなく、しばらくの間行ったり来たりしていた。
毎日突然襲ってくる悲しみや、ころころと変わる感情の動きのために苦しみ、様々なことがフラッシュバックして電車の中で突然涙が止まらなくなったり、何日も眠れない夜を過ごしたりした。
いつも喉に大きな塊がつかえていて声が出にくく、気分の落ち込み、胃痛といった身体的苦痛も大きかった。

「あんな事を言ったのがいけなかったのでは…」「あの時こうしていたら…」「私のせいで…」などといった思いが次々と頭に浮かび、常に罪悪感が付きまとっていて悩んでいた時に、話を聞いてくれたある先生からの「誰も悪くないんだよ」という一言が救いだった。
ここ1年はようやく癒しから再生へ進んでいるように感じる。
悲しみが頭から離れないということは無くなり、戻ってきても短期間で終わるようになってきた。
昨年、思い切って家のリフォームをしてかなりのものを捨て、一から出直そうと決めた。

これからは、もっと自分を生きていこうと思う。



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